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空の鳥を見よ
自我が、現状どうであろうと、霊的な方向にのみ意志が確立されていれば、何の問題もないことを、誰が理解しようとするだろうか。この確立は、絶えず完全な霊性を体現することを意味していない。心の態度として、真我以外のすべてに対して、本質的に無関心であり、無興味であり、ゆえに、何が起ころうとどうでもいい、あるいは、すべて起こることは完全であるという確信に生き、何も問題などないという、魂に立脚した喜びの意識が求められるのである。自我意識から魂意識は、時間はかかる。その間、適度に遊んで生... -

以前はできなかった
”静かに”(瞑想)したいと思います。しかし、静かにしたくない自分のことも認めます。まだ概念の中で遊びたいのだと思いました。概念が次第に真実に溶けて行き、いつしかそれそのものとして生きることが出来るのだと大きな勘違いをしていました。知識を得たい、知りたいとは、この私が(人生を)動かしたいという現れなのだとも思いました。 静かにしたくない暴れと、自分は別である。しばらくの間、静かにしていることは難しいだろう。それを無理に静かにさせることは、病気や狂気のようなものを引き起こす原因に... -

一神
質問の要点を抜粋する。 何故この人生をやっているのでしょうか。何故この自我とやらを出現させて、それから目覚めなければいけないコレをやっているのでしょうか。このことが少しでもわかったらまた前進出来そうと思ってる自分がいます。「私と神は同義語」であるなら、なぜこれをやっているのだろう。どうしても、理論上だけでもわかりたい自分がいます。 どの観点から答えようかと最初に思う。分離させる想念の、つまり人間が理解するための概念で、ジュワルクールのような説明を試みるべきか、それとも、「前... -

素晴らしき哉、神生
バッハのコラールであれ、黒人たちのゴスペル・ソングであれ、いわゆる「神を讃える歌」の背後には、「自分が救われたい」「自分が安全でありたい」「自分が神に好かれたい」などといった願望と恐怖が存在するだけであり、しごく無知である。それはアストラル的な歌であり、日本人のカラオケと同じくらい無価値である。世の賛美歌は、光に似せた影の創造であり、神への奉仕に似せたアストラル体への奉公であり、宗教的な衣をかぶった無知の悪事でさえある。 真の賛美歌は、魂が霊を認識するときの意識状態であり、... -

有害に生きるなかれ
例えば、この書いている方の人間、つまり普通の人が言う「私」は、世間一般が思うところにおいては、人生の一大事といった不幸をこのところ見せられている。しかし、私は喜びしか感じられないことに喜んでいる。この世のいかなる荒波も、私には美でしかない。 パーソナリティーの深い悲嘆と不幸の直中にあっても、魂の喜びを知り感じることができる。これは秘教のパラドクスであり、決まり文句である。しかしながら、それは事実である。学ぶ者はこれを目指さなければならない。 アリス・ベイリー「ホワイトマジッ... -

天国意識
この世界の背後の唯一なる本物に到達したと私が包み隠さず言うとき、ほとんどの人は信じない。なぜなら、そのような者には見えないからである。妻でさえ、どこまで本当かは疑問に思っている。聖人のイメージというものが人にはあり、素行や性格といった属性がそれにそぐわない場合、偽物として、嘲笑的な態度にしばしば出会うし、頭が少しおかしい人であるという推測を受ける。したがって、ある程度の学びを終えた者にしか、助けたくても、まだ話したり教えたりすることができない。 沖縄の友達が、鬱病で入院して...

