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マインドの主
人間の三つの低位様相と魂の間の断絶に橋を架けることが教育の目標になるまでは、正しい方向における進歩はわずかなものであり、その場しのぎのどのような方策も、現代の必要を満たすことはできないであろう。高位マインドの存在事実が認められ、低位具体マインドが高位マインドの僕として果たすべき役割が同じように認められるまでは、物質的なものを具体化する能力――その能力には……人間の低位欲求を満足させるものを生み出す傾向がある――は過度に発達していくであろうが、人類は真に思考するようにはならないだ... -
意識の断絶と回復
この課題とは、人間の注目の中心つまり焦点を正しく見定め、意識が主にどこに集中したらよいかに気づくことである。次に、その焦点をより高位の体に移すことができるよう、その人を訓練しなければならない。……つまり、この上なく重要と思われる体は、それよりも高位に位置するものの単なる道具になったとき、二次的な重要性しか持たないものになることができ、しかも、そのようになるべきであると。 アリス・ベイリー「新しい時代の教育」 p.30 平均的な人類はアストラル体に意識の焦点を置いている。よって現代の... -
苦悩の果実
苦悩する生涯がある。ありふれた幸福すらその生涯には訪れない。「なぜかくも自分だけが」と我々は思う。激しく救済を求め、どこかや何かに答えを見出さんともがくが、苦悩の原因となっている事象がいつ終わるかは、その定められた宿命に関することであり、我々がどうこうできるものではない。通常、苦悩の原因を解消するために、我々は必死の努力を行うべきだと考えられている。貧乏ならば金を、非力ならば力を、弱ければ強さを、醜いならば魅力を、失ったならば取り戻すことを、我々は努力や意志や勇気によって... -
大いなる目的
我々はいつも、「どうにかしよう」とする。異常を正常に、不満を満足に、焦燥を平和に、恐れを自信に、不幸を幸福に変えようとする。現在点は絶えず嫌われている。そして、今そのままの自身から逃れるべく何かを考案し、それが一時的に功を奏すならば趣味や娯楽や習慣にしてしまう。この逃避はその決定的な瑕疵に気づくまで永遠に循環する。「どうにかしよう」という発想が浮かぶまでは構わないが、それを実行に移そうと決めた時点で霊的には終わる。現在のA地点から、求めるB地点へ移行しようと試みた時点で、見... -
誰の瞑想か
自然は努力していない。努力する「私」を所有している自然は人間だけである。人間はすべての自然とひとしく自然だが、「私」のせいで不自然を余儀なくされており、苦悩や不幸の原因が分からずに悩む。あるいは、困難の原因を他の個人、私以外の私を持つ者たちであると思っている。誰かに批判されたらその者のせいだと思うし、誰かに良くされたらその者のおかげだと思う。そして、相手の態度に応じて何らかの応対に努める。そして努める力、努力は、すべての自然を動かす力と一体だが、その力を自分の力と思い、錯... -
充電と放電
毎朝、魂とダイナミックに接触するよう努めなさい。そうすることで、そのとき接触したパワーと知恵、開かれた経路の純粋さが、接触を維持する必要性を絶えず思い出さなくても、その日の活動中、保たれるようになるだろう。これは、存在する、という新しい概念への第一歩である。非常に多くの弟子たちが、弟子でいようと努力している。ある段階において、これは正しく、適切で、極めて必要なことであるが、いずれは意識的で、ダイナミックで、リズミカルな接触を二十四時間ずっと維持するようにならなければならな...