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瞑想と意識
自分の本質に覚醒することは、現象的努力を必要としない。悟りは達成されることも強制されることもできない。それはそうする機会が与えられるとき、観念による障害が止まるときだけ、起こることができるだけだ。……観念化を取り除く方法として、考えることを止めようと積極的に努力をすることも無駄な練習であるし、それ以外のほかの種類の「努力」もそうである。唯一の効果的努力は真実を瞬間的に直観的に理解することである。偽物を偽物と見れば、残るものが真実である。今、実在するものが消えるとき、今、不在... -
休息のテクニック
ずっと瞑想することができないように、波動の維持が難しいのは、長時間、新たな高い波動を諸体に適用するという負荷に、最初は諸体が耐えられないためである。この場合、適切な休息や娯楽を逆に取る必要がある。 波動の下がりを最小限にし、賢明な回復時期を適宜、見極めることが求められる。例えば7ばかり波動を上げたなら、次の回復(普通は瞑想)までに、7以上波動を落とすようなことを避けねばならない。7未満の下がり方、せいぜい6下げるもので持ちこたえ、徐々に3とか1とかの下げ方でよくなるように調整し、... -
日常と波動
自我に効果的なこと 自我の自由意志で出来ること。しようと思えば出来る霊的に効果的なこと。これらは色々あるが、本当に意味が分かった上で行わなければ、長続きせず、また地味なため味気なく、ゆっくりとした成長に業を煮やし、正しい行いをやめてしまうだろう。 すべて波動の問題だとシンプルに捉えたほうがいいかもしれない。高い波動を達成し、それを維持できるか、これだけである。逆に言えば、低い波動へ引きずり下ろす事をしないことである。波動が高くなり、それを維持できるようになるなら、調和した意... -
トリック
人間の普通の意識から、魂の意識に入るという、アンターカラナという概念で言えば前半、ここについて書き続けているのは、この基本に関する情報が少なく、そのため人間の普通の意識で修練し、行き詰まっている人が多いと感じるからである。一方で、アンターカラナの後半が完了した聖者と見なされる方々の情報は容易に手に入るため、基本が知られぬままの瞑想が自我に弄ばれており、ありのままの神性が霊的な欲求の対象となり果て、それがかえって到達できない瞑想者としての苦しみを生み出す要因になっているから... -
乱
法則と調和している限り、世界や出来事から心理的な影響を受けることはないが、この守られた意識が平時に定着するまで、人は有害と無害という概念の中で生を余儀なくされる。その場合、霊的な成長という観点から、世の中は有害なもので溢れている。この害悪は意図的なものである。 特に物質界とアストラル界において、人類が霊的な上昇気流に乗ることを阻害しようとする力(もしくは勢力)が優勢である。イニシエートには、いわば上昇のイニシエートと下降のイニシエートが存在し、共に進歩しているが目的が真逆で... -
イリュージョン
マインドが「すること」を止めるとき、それは単に在る。対象化がないとき、私たちの絶対的存在が在り、顕現した宇宙はない。 「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」p.116 付け加える。マインドが「すること」を止めるのは、マインドが魂を知覚するからである。我々は、マインドが、それ自体で充足している意識の上に塗り重ねられたイリュージョンであり、純粋な意識つまり魂がその表面的なマインドの観念的羅列と自身を同一化することで、マインド意識すなわち分離した自我意識を体験しているだけである。...