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覚者を越えよ
魂の報酬 霊的な合一は、人間の苦闘に終止符を打ち、苦しむ能力をなくし、絶えることのない至福を享受させるに至る。それは分離がなくなるからであり、すべてのすべてが美しく愛おしくなり、地上に神の王国は復興され、その王国へ一人でも多くの兄弟姉妹を導くことだけが意志にして喜びとなる。しかし、合一まで至る者が極めて稀であることもまた由々しき事実にして謎である。いったい、なぜであろうか。到達を阻む原理を、我々は自身の態度に見いだす必要があるにちがいない。 神性の外部投影 霊的探求において、... -
苦痛は至福への門
イニシエーションの道において苦痛の大部分が打ち消される。それは、イニシエートが苦痛を避けようと努力するからではなく、望ましくない接触に対する形態の感受性が消え去り、それにより苦痛もまた消え去るからである。苦痛は形態の守護者であり、質料の保護者であり、危険に関する警告を発する。苦痛は進化過程においていくつかの明確な段階を示し、魂が自らを質料と同一化するための原理に関係している。この同一化が止んだとき、苦痛と病気、そして死もまた、弟子を捕える力を失う。魂はもはやそれらの要求に... -
アシュラムの波動と大師の波動
質問:様々な波動について ジュワル・クール覚者は、魂の波動と区別して、アシュラムの波動や大師の波動に接触できるようになると述べていますが、あなたの記事における「魂の波動」とは具体的にどういうものを指し、アシュラムの波動とはどう異なるのでしょうか? さらに、アシュラムの波動と個々の覚者(大師)の波動はどのように異なるのでしょうか? これらの記述が、私が確認した限り、これまでの記事には見つかりませんでした。 さらに、こうした波動の概念が、他の霊的な書籍や覚者の教えに見られないのは... -
クリシュナムルティの解読
経験する人と経験されるものの一体性 以下の動画で、クリシュナムルティは、他者に対して憎悪を持つ苦痛を抱える質問者に対し、「憎悪」と命名することが問題であり、「憎悪自体」を見るとき、「憎悪している人」と「憎悪という感覚」が一体であることに気づき、「この統合が必要であり、この問題に正面から取り組まねばならない」と締めくくっている。 https://www.youtube.com/watch?v=uhNp6Umw42c&ab_channel=%E7%9C%9F%E5%A4%A9 普通の人にはこれはできない クリシュナムルティの問題は、様々な霊的メカニ... -
意志に定むる魂の弓
魂の発見以後 魂を見出した後は、魂として存ることが目標になる。魂が新たな自分であるためには、マインドの活動を滅し、存在そのものへの自然な集中に意識を焦点化し続ける必要がある。これは、融合を安定させるための時期であり、これにも通常は何年もかかる。この時期が長くなるか短くなるかは、魂に対する真剣さに依存する。 前の記事で、意図的に「気づきに引き戻そう」とするならば心の強化になると書いたが、この段階の内なる存在への意識の引き戻しはその逆で、心の弱体化にしかならない。まず、本物――ブ... -
苦闘の終焉
苦闘を伴う探求の終焉 多くの弟子たちが苦闘している。苦しみながら道を歩んでいる。我々は、この時期が一時的なものであることを知る必要がある。瞑想で真の自己と接するようになるにつれて、非自己に対する「聖なる無関心」が発達する。それは、それまでの非自己とは自分が関係がないという感覚・意識を伴わせるものである。かくして、個人的な反応との同一化がなくなり、よって個人的な反応がなくなるということは、苦しみもまた存在しなくなるということに希望を抱こうではないか。現在はまだ苦しみを伴うであ...