メンタル界での三つの質問

前回に引き続き以下のテキストの引用から。

秘教徒は次の立場をとってはならない。つまり、自分たちが行わなければならないことは、魂との接触がある程度達成された後に自動的に起こる魂による活動をただ消極的に待ち、その結果、やがてアンターカラナの構築活動は、パーソナリティーとトリアッドの両方から反応を喚起するだろうという立場である。このようなものではない。アンターカラナの構築という仕事は主として、魂に助けられたパーソナリティーの活動である。これがやがてトリアッドから反応を喚起する。この時期、熱誠家はあまりにも怠惰な態度を示している。

アリス・ベイリー「光線とイニシエーション 下 」p.64
  1. これはアンターカラナの後半、魂を介した低位マインドと高位マインドの橋渡しに関する話である。この結果、人間のマインドは超越され、イリュージョンもしたがってなくなり、魂ではなく霊的トリアッド(アートマ-ブッディ-マナス)と融合することで、個人は消滅し、真我である一なる生命、モナド意識に参入する。
  2. 人間と魂をつなぐアンターカラナという橋の前半を構築し終えた者は、調和した魂意識を多少なりとも知覚する。これはいわば最初の超越意識であり、愛や喜びや平和といった神性の重要な部分を取り戻させるものである。それはアストラル体が統御されたことの報酬である。
  3. 彼は魂と融合した感覚がある。しかし、魂がメンタル界の第三亜界に存在しており、我々である魂とは「マインドの子」であり、それは依然としてマインドの領域にあることを忘れがちである。なぜなら、魂と融合した者は、自分は融合していると言う権利があり、その静かな幸福に没頭しつつあるからである。これが次の弊害を生み出す。
  4. 人は魂がすべて自動的にその後の事を行うと思う。それは事実かもしれないが、彼はまだ完全に魂ではないことを忘れている。「いくらかの想念がいまだに侵入し、感覚もある程度活動しているが、心が源のなかで溶け合ったという自覚がある」意識にかまけて、自分とは別の実体である魂が自分を自動的に攻略してくれると分離してイメージし、ただその魂意識を感じていられればよいと錯覚する。これがメンタル界の怠惰である。

依然として、これはイリュージョンである。この錯覚を打破するために以下の三つの質問をしなければならない。

  • アストラル界とメンタル界の努力が違うことに気づいてますか。
  • 魂の波動が感じられるということは、その波動とあなたが対立しているということに気づいてますか。
  • あなたの中でアストラル界の波動がもはや存在しないように、メンタル界で調和したとき、あなたが感じているどの波動も知覚しなくなるかもしれないという推測を立てることができますか。

通常、努力という言葉はアストラル界の単語であり、それは葛藤や摩擦の苦痛を伴うものである。この質問はおそらく第二段階のイニシエートが最初に自身に問うものであり、魂意識においていかにそれまでの努力が存在しなくなったからといって、自身にまだ想念が生じるということは、メンタル界のフォースには太刀打ちできておらず、征服できていないものは征服されねばならないことを教えている。あなたは、メンタル界の努力が、「魂に助けられたパーソナリティー(あなた)の活動」であることを知り、メンタル体の統御という新しい努力、メンタル界の努力を覚える必要がある。

問題の根本は、魂と溶け合った意識を知りつつ、まだ完全に魂ではないことである。したがって彼はイリュージョンに包まれている。あなたと魂を分離して考えるのは、あなたがまだ真に融合しておらず、魂からの働きかけを受けている最中だからであり、メンタル界の努力とは、あなたが魂の作業を妨害しない意識を維持することである。これも厳密ないしは最終的には努力ではないが、魂に任せるという放置、自動的であるという態度、これが想念やメンタル界の征服には導かないことを意識している必要がある。

魂の波動を感じるということは、魂の波動とあなたが調和していないということである。ここでは、魂の波動とあなたは分離して感じられる。それは高度な意識状態ではなく対立状態を意味しており、あなたというパーソナリティー総体のフォースが、全体的に魂のエネルギーと一致して振動していないということである。魂の意識というものは、人間の通常の意識とは異なるにしても、コーザル界の意識つまりまだメンタル界の意識であることを思い起こす必要がある。第三イニシエーションで頂点を迎える魂との融合と変容は、肉体、アストラル体、メンタル体のすべてが完全に魂の波動と調和し、それが一定期間維持されたときに生じるものである。それはまだ分離した個人の意識の残滓もしくは大本であるあなたが、あなたという感覚のイリュージョンを乗り越えるために、魂に協力しなければならないことを意味している。ただ魂意識に入っているからそれでいいという態度は間違いであり、大調和つまり法則に違反するどのようなフォースも残してはならない。これを意識している必要がある。これがメンタル界の努力であり、方向づけであり、「反対方向に向かう」という言葉が意味するものであり、真に何もしないこと、メンタル活動が停止することである。

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