自我の破壊

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前文

自我は、瞑想で何かをすると思っている。自我は何かをされる側である。そのため、「私」や「意識」へ注目を向けるというアイディアが提唱されてきた。しかし言語や手法は瞑想に通用しない。行為は瞑想ではない。自我の訓練や意図は早い段階で捨てられ、去るものである。やがてこれが知られるだろう。瞑想そのものが教えるだろう。思考との無闇な同一化が過ぎた後、フォース体でしかない「私」という形態に破壊の照射が可能になる。

目覚め

瞑想過程123向き結果
初期段階自我何らかの手法対象二元
最終段階照射/火自我一元
初期段階はすべてフォースである。やがて魂エネルギーがフォース体そのものに働きかける。

初期段階の特徴は信念つまり無知である。個人的に何かを信じている。その信頼する手法を自我が使用し、理想の状態に到達しようと脳で試みる。この主体から客体へと向かう動きは単に誤解であり、無理をするほど危険以外のどこにも導かないことを自我は徐々に理解する。長年にわたる瞑想がつづく。試行錯誤。良い時と悪い時が交互に訪れる。螺旋状に着実に進歩する。魂の波動と接触し利用できるようになる。エネルギーとフォースの世界における理解力、識別力の育成に伴い、諸体が知的に統御され、三界の低位亜界が意識的に浄められる。静けさが増す。日常でも低位の波動に反応できなくなる。こうして瞑想に日常との境界が無くなりゆく。内在の光がまばゆいばかりに輝き出す。時を知らせる音が鳴り響く。自我は魂と「面と向かって見つめ合う」ことができるようになる。主体による主体の認識である。したがって何もする必要がないことを主体は知る。主体はただ主体で在るようになる。存在は輝く。

破壊の承諾

「面と向かう」とき、最初に秘教徒が敷居の住者と呼ぶものと対峙する。この魂への敷居に立つ者は、古く長く大きな形態であり、その所以つまり秘密は人間の個別化の時期まで遡らねばならないだろう。したがって強力である。それは自我の「私原理」であり、外へ向かい経験を積むことを可能ならしめる二元の原理である。しかし本質的にマインドのイリュージョンであるため、第三イニシエーション前に原理ではなくなる。それは様々なフォースの集合体、つまりただの形態と見なされる。したがって破壊の対象となる。この形態を支配する質料に、真我である我々つまり生命は支配され閉じ込められてきた。この形態が原理として機能しなくなったとき、もはや必要はなく、それまでの「私自身」が破壊の対象となる。それを「私」が承諾する。

焼尽

照射の過程において、自我は「私」という「心地のよい」感覚(この段階では妨害するものが希薄であるため心地よさが勝る)、この至高の定位置、内界における台風の目にて、魂による秘教的な破壊とそれに伴う融合の過程をただ見守ることになる。これ以前に、脊柱基底センターに眠るクンダリーニの火の目覚めに加えて、頭部内の三つのチャクラつまり松果腺を支配するヘッド・センター、脳下垂体を支配するアジュナ・センター、頸動脈線を支配するアルタ・メイジャー・センターのトライアングルが機能していなければならない。最後のチャクラはまだほとんど知られていない。これらは後にびっくりしないために覚えておくと良いかもしれない。すべてが魂の統御の下、連関し合いながら自我の破壊つまり焼き尽くす意志と力の行使にさらされる。何もすることはない。それはただ起こることである。自我は火によって滅び、光によって一なる命に復活する。

最後に

すべては人間という太陽系内の神である魂によって秘教的にゆっくり、着実に開花しゆくものである。意義を唱えるのは焦る自我である。自我だけが急ごうとする。自我だけが「自分の生涯」を特別と見なす。自我だけがその弱みゆえに真理で商売を試み、真理を買い漁ろうとする。魂の観点は時間ではなく永遠である。魂の観点は物質界ではなく内界の富である。我々は自我ではなく魂である。我々は乞食ではなく神である。我々は兄弟である。我々は真我である。このことを一秒も忘れてはならない。人間は欲望の犠牲者であり自らを悪い意味で破壊するが、魂はそのような自我を破壊することで引き上げる。この神聖な破壊の過程を見守るのが瞑想である。

それほど昔のことではないが、偉大なる方々の一人のアシュラムにおいて、一人の弟子が大師に、言葉は少なくても、「人類を形態から引き出して生命へと、そして物質から引き出して意識へと導く」白魔術の意義を、常に考察に価するような形で、真理を表現してくれるように求めた。彼の大師は次のように答えた。

「人の子らだけが、右手の道の魔術と左手の道の魔術の違いを知っている。達成したとき、これら二つの道は消え去るであろう。人の子らが物質と質料の間に存在する違いを知ったとき、この時代の教訓は理解されるであろう。他にもまだ教訓は残っているであろうが、それらは乗り越えられる。物質と質料は共に暗黒を作り出す。質料と目的が混ぜ合わされたとき、それは光の道を指し示す」

アリス・ベイリー「ホワイトマジック 上」p.319
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