瞑想– category –
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灰汁
たとえば、私が672夜で、自身で出来ないことを出来るように書いたり、実際は知らないことを知ったふりして書いたりするならば、少なくともその日のうちに、カルマ的な反作用が現象の世界で生じ、私を痛めつけることになるだろう、という話をある者にしたら、次のように言われた。あなたはそのときカルマに苦しむのかと。これが面白い質問だと感じたため取り上げる。 自分を大きく見せるために、出来ないことを出来ると喧伝するような者とは、個人である。この個人性の残り滓が、仮に私の翻訳を歪曲させた場合、そ... -

御しがたい情緒
誰かに害されたとき、通常は怒りや憎悪、許せないという感情に飲まれるが、魂を知り魂で在る人間の場合、そのような負の影響力から自由である理屈について説明したい。したがって今回は明確にアストラル界の話である。 私に害を為した者を仮にSだとしよう。Sという人間は、もし我々が魂の意識で在るならば、自分の中に存在する自分でしかない。世界についても同様で、昨日マハラジが言ったように「あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。すべてはあなたが在るがゆえに在る」もの、より厳密には、在るように見えたり感... -

「I AM THAT」p.266
あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなた自身のなかにそれをもつことは拒んでいるのだ。 ニサルガダッタ・マハラジ これは最初に平和を知らないからである。平和を知ったあと、個人は副次的に平和になっていく。個人が道徳的・倫理的によくなることが生の目的ではない。それは真の目的に付随するものでしかない。とはいえ、この文章は世界の混乱の原因をそのまま解き明かすものである。たとえば、「抑止力」という詭弁が詭弁であることを通常の人間は理解できない。軍事費の増額、武器の購入、果ては... -

生の目的と霊的
何に苦しんでいたのかと言われた。何で生きなければならないのか分からないことに苦しんでいたのである。生まれてしばらくすると、誰もが死という概念に出会う。恐ろしい概念である。父親に、死ねばどうなるかと聞くと、無になると答えられた。ならば、無になるのに生きて何の意味があるのか。無に帰するものに生きて何の意味があるのか。到底納得できない答えであるが、誰に聞いても、適当な答えしか返ってこない。驚くべきは、みな分からないのに、悩まされておらず、平然と生きていることであった。考えたって... -

断食と真の味覚
断食が瞑想に効果的かという質問について。率直に答えれば効果的である。しかし、瞑想の効果を高めるために断食するという動機は、何やら元気である。瞑想の効果を高めたい人は誰なのか。その人が元気なときの発想に違いない。つまりきな臭い。肉体エレメンタルに支配されていない場合、肉体をサットヴァに保つことは自然なことであり、心地よいことである。逆に、暴飲暴食もしくは過食や豊食に生きながら、サットヴァ意識を保つことは無理だろう。人類は、ほとんど食べる必要がないことをまだ知らない。食が生の... -

アートマ・ヴィチャーラ
「私は誰か」という問いが出るのはなぜか。真我を発見するため、という個人的な動機で問われるものではない。最終的な超越を妨げているのは「私」である。肉体がどの場所に行こうとも「私」は在る。この「私」から逃げられた者はおらず、夢のない睡眠中や失神中、昏睡状態といった無意識と呼ばれる状態のときだけ逃れられており、また自由である。我々の場合は、目覚めた意識でありながら、つまり「私」としての意識がありながら、その「私」から自由である意識や状態を達成しようとしている。通常の動機は、「私...

