瞑想– category –
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薪をくべる
いっそのこと世を捨ててしまおうか。これまでのしがらみを全て断ち切って、ひとり山にでも逃れてしまおうか。社会に頼らず、社会に属さず、誰と関わることもなく、自給自足を営み、瞑想修行にひたすら明け暮れようか。――こういう人を何人か見てきた。愛の外道という記事で次のように書いたことで、何人かの怒りを買い、また何人かを困惑させてしまったようである。「個人の責任を放棄せずして、どうやって神の道に入れるというのだろうか」。冒頭で話した世俗からの逃避、社会における個人的責任の放棄もまた、私... -

誕生日プレゼント
友人が、誕生日に人間関係で理不尽な目に遭った。人間関係は、己を肉体として生きている者にはやっかいなものである。田舎にありがちなことかもしれないが、小さなコミュニティから、いわゆる村八分のような宣告を受けたのである。なぜかというと、彼は勇敢だから、誰もが怖くて言えないことを堂々と強者の面前で言い放ったからである。たったこれだけで、そのあたりには住めなくしてやろうという報復が行われた。何が起きたか真相を私は知っている。その者が今は悪者にされているが、悪くない。人間にはしばしば... -

瞑想の危険回避
短い質問であるためそのまま掲載する。 瞑想の際に、マインドと脳の瞑想という危険な状態を回避するためにはどうしたらいいのでしょうか。 また、瞑想では感情などに集中しているのとボーッと眺めているようなあり方、どちらがいいのでしょうか。 これはおそらく、ジュワル・クールの言葉の引用に関するものだろう。それは以下である。 瞑想するのは魂である。瞑想は積極的な活動であり、消極的な状態ではない。瞑想の名の元に行われている活動の多くは危険で無益なものである。なぜなら、統御しようとしているの... -

愛の外道
瞑想に熟練するにつれ、様々な波動と接触するようになるだろう。解説するとき、例えば「魂の波動」という言い方をする。言葉にするとき、すべてが事実ではなくなることに心苦しさを感じる。弟子が主に扱うのは魂の波動であるが、そのような分類をするのはマインドである。実際は私自身であり、「私と魂の波動」といった考え方には、強い苦痛が伴うものであり、いかなる分離もあってはならないことを覚えておくべきである。前の行を書いてから、しばらく時間が過ぎていたようである。言葉をまさぐるうちに、入って... -

聖なる苦痛
本物と偽物の違いとは何か。実在と非実在の違いとは何か。我々は肉体を自分と思い、肉体が存在していることを認めている。では、肉体を見ているのは誰なのか。肉体を感じているのは誰なのか。肉体だろうか。 肉体が存在していると言う人は、肉体に意識を焦点化しているだけである。その結果、肉体意識である。しかし、肉体あるいは肉体感覚は、意識によって知られているものではないのか。最初に真我が在る。次に、真我である霊が、どのような形態と交わったかで、意識が決定される。意識も肉体形態も、順序で言え... -

全能の力
人間は、どこかが不調である。どこかが痛く、何かが苦しい。身体的であれ精神的であれ。大なり小なり、人間はみな病人ということになる。医療が巨大産業になるはずである。子供ですら、不調を治すのは病院だと思っている。大人は病院を選ぶ。あそこはヤブ医者で、別のところには名医がいると言う。あるいは知名度やイメージで病院の信頼性を測る。いずれにせよ医療従事者に頼る。全体的に見て、医療機関が処方する薬、ドラッグストアが販売する類いの日常的な薬、あるいは違法薬物、なんであれ薬を常習的に飲み続...

