瞑想– category –
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心得
不幸ならば幸福になりたいと人は思う。ところが、そのどちらとも関係のない意識が存在し、そこへ人間は瞑想を通して入ることができ、その領域こそが本質的であることを私は学び、且つそれについて書いてきた。しかし、この高位我を人は最初から認識できないため、低位我の波動を少しでも高めることしか教えられない場合がある。 そこにも引き続き問題がある。例えば、悪い想念傾向を良いものに置き換えるよう教えても、完全には無理だと思うのである。怒りや恨みを愛や慈悲に変えよと言っても、努力はできても、簡... -
どうしても許せない人物
瞑想中の幸福を瞑想後に維持できません。目を瞑っている時の幸福が、目を開けたら不幸に変わるのはなぜでしょうか。 存在しない重荷を背負っているという想念が、世界を見ることで発生するからである。つまり、見える自分、感じる自分、記憶の自分が本物の自分だという、行為者の感覚に敗北するのである。目をつむると、世界は存在せず、内なる感覚に容易に焦点化できるため、あなたはただ幸福なのである。 目を開けたまま、行為者の感覚を消すコツのようなものはありますか。 内的な通路やメカニズムと関係してい... -
悩める生の終幕
整列とそれに続く接触を通して魂のエネルギーが呼び起こされ、目覚めさせられ、活用される。これは偉大な消散する力であり、魂のレベル(メンタル界の高位レベル)からマインドを通して弟子の脳へと流れ下り、アストラル界にイルミネーションをもたらす。 アリス・ベイリー「グラマー 」p.61 魂のエネルギーを認識している人は多いが、それが何を意味し、どのように活用できるのか、ここを理解している人はそう多くない。冒頭の引用では、魂のエネルギーが呼び起こされることで、「アストラル界に対するイルミネー... -
太陽は在った
あなたの文章は瞑想することや瞑想の理論めいた用語を並べたり解説したりしているだけで、実際の瞑想がどのようなものか、つまり私が瞑想を始めてつまづいている箇所、どのような瞑想が正しく、また間違いなのか、一体何から始め、何をしていれば間違いないのか、そのあたりについて言及がなく、読んでいて私には意味がないと感じざるを得ないというのが率直な感想です。あなたが瞑想のやり方を書かないのはなぜなのか、非常に疑問に思います。 私も瞑想に方法があると思っていた時期がある。それによって行われた... -
個人の超越
おのれを良く見せんと固執するとき、人は臆病なまでに自信がない。自信とは、外的な自己の自信ではなく、内的な認識がもたらす喜びの表現である。あらゆるコンプレックスは外的人間のものであり、彼や彼女の改造は、賽の河原に石を積むがごとく際限がない。したがって、恐怖とはつねに内的無知に由来している。人間が瞑想し、外的形態から静かに撤退を願うとき、果てもない喜びに到達する。魂と整列したとき、自信なき者の弱さは追放され、恐怖は喜びに置き換えられる。天壌無窮の喜びに穏やかに安らぎ、私は喜び... -
帰還の道
高所の沈黙へと入る能力が必要である。マインドの鎮静化はリズムの法則によってもたらされる。もし、あなたが多くの方向に揺れ動き、あらゆる方向からの想念を感知するならば、この法則があなたに作用することはできない。そのため、平衡を達成できるようになる前に、バランスと安定を取り戻さなければならない。波動の法則と原子質料の研究は密接に絡み合っている。これらの原子とその活動と反応と相互作用についてもっと多くのことを知ったとき、人々は波動の法則とリズムの法則に同調し、科学的に自らの諸体を...