瞑想– category –
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それはこの世の話だろう
知覚者の意識の中にすでに存在するか、部分的であれ存在するものにしか接触することはできない。したがって、知覚者が敵意と憎悪を感じたとすれば、それは彼の中にも敵意と憎悪の種子が存在するからである。それがなければ、和合と調和しか存在しない。これは普遍的な愛の最初の段階であり、すべての存在と一つになろうとする熱誠家の実際の努力である。まずは自分自身に着手し、自身の性質の中にある有害さの種子を一掃するように努める。そのため、自分や他の人々への敵意を生む原因に対処するのである。その自... -

薪をくべる
いっそのこと世を捨ててしまおうか。これまでのしがらみを全て断ち切って、ひとり山にでも逃れてしまおうか。社会に頼らず、社会に属さず、誰と関わることもなく、自給自足を営み、瞑想修行にひたすら明け暮れようか。――こういう人を何人か見てきた。愛の外道という記事で次のように書いたことで、何人かの怒りを買い、また何人かを困惑させてしまったようである。「個人の責任を放棄せずして、どうやって神の道に入れるというのだろうか」。冒頭で話した世俗からの逃避、社会における個人的責任の放棄もまた、私... -

誕生日プレゼント
友人が、誕生日に人間関係で理不尽な目に遭った。人間関係は、己を肉体として生きている者にはやっかいなものである。田舎にありがちなことかもしれないが、小さなコミュニティから、いわゆる村八分のような宣告を受けたのである。なぜかというと、彼は勇敢だから、誰もが怖くて言えないことを堂々と強者の面前で言い放ったからである。たったこれだけで、そのあたりには住めなくしてやろうという報復が行われた。何が起きたか真相を私は知っている。その者が今は悪者にされているが、悪くない。人間にはしばしば... -

瞑想の危険回避
短い質問であるためそのまま掲載する。 瞑想の際に、マインドと脳の瞑想という危険な状態を回避するためにはどうしたらいいのでしょうか。 また、瞑想では感情などに集中しているのとボーッと眺めているようなあり方、どちらがいいのでしょうか。 これはおそらく、ジュワル・クールの言葉の引用に関するものだろう。それは以下である。 瞑想するのは魂である。瞑想は積極的な活動であり、消極的な状態ではない。瞑想の名の元に行われている活動の多くは危険で無益なものである。なぜなら、統御しようとしているの... -

愛の外道
瞑想に熟練するにつれ、様々な波動と接触するようになるだろう。解説するとき、例えば「魂の波動」という言い方をする。言葉にするとき、すべてが事実ではなくなることに心苦しさを感じる。弟子が主に扱うのは魂の波動であるが、そのような分類をするのはマインドである。実際は私自身であり、「私と魂の波動」といった考え方には、強い苦痛が伴うものであり、いかなる分離もあってはならないことを覚えておくべきである。前の行を書いてから、しばらく時間が過ぎていたようである。言葉をまさぐるうちに、入って... -

聖なる苦痛
本物と偽物の違いとは何か。実在と非実在の違いとは何か。我々は肉体を自分と思い、肉体が存在していることを認めている。では、肉体を見ているのは誰なのか。肉体を感じているのは誰なのか。肉体だろうか。 肉体が存在していると言う人は、肉体に意識を焦点化しているだけである。その結果、肉体意識である。しかし、肉体あるいは肉体感覚は、意識によって知られているものではないのか。最初に真我が在る。次に、真我である霊が、どのような形態と交わったかで、意識が決定される。意識も肉体形態も、順序で言え...

