瞑想– category –
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「あなたは至高の存在である」
ほとんど毎日のように考えて長文を書くのは大変でしょうと言われた。多くのヒントを伝える重要なことを述べる。私は全く考えて書いていないため、一秒たりとも大変であることはない。書かせているのは誰なのか。どのような力なのか。パーソナリティーの方を私とあなた方がみなすならば、この媒体はフィルターというだけであり、媒体の知識、記憶、具体的知性、訓練された低位マインド、これらを通して、一つのアイディアが媒体なりの文章に仕上げられているだけである。私は書いている者ではなく、書かれているも... -

RPG
「今日は瞑想ができない。瞑想できない自分が嫌になる。気分が悪い。考えれば、何年続けてもこれといった成果はない。自分には向いてないに違いない。さりとて世の中も自分には向いていない。希望が持てず、もはや何もかもに嫌気がさす。おそらく、自分は駄目な人間なのだ」 ナルシシズム的な、自己憐憫型の条件づけと同一化するとき、我々はしばしば、「駄目な自分」という演出を好む。「可哀想な私」という演技に没入し、自身で自身を苦しめる。言っておくが、無視するか我慢するかして瞑想を続けるならば、この... -

神の初湯
元日の風呂はタブーであり、正月二日にはじめて初湯や初風呂に浴するべきだと昔の人は言う。では、元日の入浴を禁ずるのみならず、さらに一週間、あるいは一ヶ月、風呂に入れないことにしてみよう。我々は不潔に苦しむことになる。やっと風呂に入れたとき、我々は多大な細胞的刺激を受け、入浴でこれほどまでに身体が喜ぶのかと強く感じるであろう。そして風呂から上がり、晴れ晴れして、心から気持ちよかったと言うだろう。逆に、毎日あるいは日に二回など、常に清潔で心地よい温浴を求める風呂好きは、滅多にし... -

新年と抱負
今年、去年、来年、この種の言葉は左下のパーソナリティー意識が言うことである。それは時間意識である。子供時分、教科書の隅に絵を描き、頁をばらばらとめくりながら眺めたとき、絵が動いて見えた、あの遊びを覚えているであろうか。あれをスローモーションにしてみよう。事実は、静止画の連続を記憶で捉えるときに生み出される変化運動という錯覚である。実際は変化していない。動いていない。前の静止画を覚えているときだけ、動いたように見えるだけである。この変化運動の錯覚は、記憶を軸とする時間意識の... -

上と下の図解
図で説明する。通常の人間意識の場合、左下の三角のパーソナリティーしか認識していない。ここから瞑想が始まる。赤線がアンターカラナの前半である。瞑想はアンターカラナの科学であり、低位と高位を繋ぐものである。赤線が完成したとき、中央の図に移り、丸の中に三角が入る。つまり赤線が下から伸びるにつれて、パーソナリティーは魂を認識するようになり、最終的には融合する。必然的にこれは、最初に探求を始めたパーソナリティーは存在しなくなるという意味でもある。ここではもはや、個人的な自分という錯... -

一なるものの奇跡
「上にあるが如く、下もまた然り(As above, so below)」と言うが、元のエメラルド・タブレットでこれに該当する部分の最後にはこうある。「それは一なるものの奇跡を成就するためである」と。この部分の逐語的な訳を紹介すると以下である。 下にあるものは、上にあるもののごとくであり、上にあるものは、下にあるもののごとくである。それは一なるものの奇跡を成就するためである。 私はこう言いたい。「上にあるものを知ったとき、下と上を調和させるべき意味と意義が理解される。それは、一なるものの奇跡を...

