ニサルガダッタ・マハラジの名言集

ニサルガダッタ・マハラジ’(Nisargaradatta Maharaj)の言葉や名言を紹介しています。

目次

私は在る

全てのサーダナの最終的な意味はあなただ。あなたが何であれ、あなたは存在している。

「意識に先立って」 p.97

「私は在る」というこの意識が世界のあらゆる驚異を創造し、維持してきたのだが、人間はそれを自分の功績だと考えている。その一方、この意識は自分自身に対して何のコントロールももっていない。

「意識に先立って」 p.28

あなたのマインドの鏡にあらゆる種類の映像が現れて、しばらく留まり、そして消えていく。静かにそれらが来ては去って行くのを眺めなさい。注意深くあり、しかし決して何にも心惹かれたり、嫌悪感を抱いたりしないようにしなさい。こうした静かな観照は、歓迎されざるお客を無視するように、あらゆる無益な思考をしだいに追い払うという効果があることだろう。このように、公平な観照者として、介入することなく、批判することなく、自分自身の内側にいることによって、つまり、「私は在るという性質」の中にいることによって、「深い」未知が意識の表面にやってくることが促され、未使用のエネルギーを解放し、そのおかげであなたは生命の起源の神秘を理解するようになるのだ。

「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」p.44 ラメッシ・バルセカール

観照

あなたは自分に現れる意識の観照者であることを理解したのだろうか? あなたは意識ではなく、その知識でもなく、サットグルがあなたの本質なのだ。

「意識に先立って」 p.97

二つの観照段階がある。存在がこのすべての顕現を観照する。そして、この存在や意識を観照することが、絶対であるあの永遠の原理に起こるのだ。

「意識に先立って」 p.14

ジニャーニの行動は、夢の世界の中で行動するようなものだ。夢ではあらゆることが起こっているが、あなたが何かをしているわけではない。その最高の状態からは、ただ存在性の観照とその活動が起こるだけなのだ。

「意識に先立って」 p.98

(数日前に息子を失った訪問者の、悲しみを乗り越えるために「何をすればいいのか」という質問に対して):する? 何かをする? 絶対的に何もない。ただ一時的なものを一時的なものとして、現実ではないものを現実でないものとして、偽物を偽物として見れば、あなたは自分の本質を理解することだろう。

「意識に先立って」 p.33

意識

意識を持っているのは個人ではなく、無数の形態を装っているのが意識であることを理解しなさい。

「意識に先立って」 p.62

マハラジは、私たちがいつも一緒にいる仲間は意識であり、自分の意識の流れに継続的に注意を払うことが、私たちを絶対へ連れて行くということを、私たちに忘れさせません。マハラジによれば、意識していることをまさに意識することが、すでに絶対に向かう運動であるということです。マインドはそのまさに性質によって、外向きで、物事の源泉を物事それ自身に求める傾向があります。マインドが内なる源泉に向けられるとき、それはほとんど新しい生活の始まりのようなものです。絶対が意識に取って替わるのです。意識の中の一つの思考である「私は在る」が停止します。気づきの中においてはどんな思考もありません。気づきは意識の源泉です。マハラジは、「静かに座って、マインドの表面に何が来るかを眺めているのは、素晴らしい霊的練習である」と私たちに提案します。

「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」p.43 ラメッシ・バルセカール

意識が神性の種だ。もし私たちがそれに真の重要性を与え、祈るとき、それは神性へと花開くことだろう。しかし、私たちがそれに何の重要性も与えないなら、それは神性へと花開くことはない。

「意識に先立って」 p.29

(意識の中に安定するということに関する質問に対して):肉体-マインドを超えて自分の存在性の中に安定するというような話は、幼稚園レベルの一番低い霊的探求者のためのものだ。

「意識に先立って」 p.52

この意識の到達後にやって来たあらゆる事は、一振りの塩のようなもの。それは無用であり、意識も無用なのだ。

「意識に先立って」p.94

行為者

しかし彼はすぐに探究の過程で探求者が消えてしまうことを発見するだろう。探求者が消えたとき、何かをするという問題はなくなる。後に探求者はすべての行為をおこなっていたのは自分の本質ではなく、「生まれた」というラベルが自分の本質に貼られたことで、意識が目覚めと睡眠状態、そして肉体にそれ自身を同一化させたのだと理解することだろう。

「意識に先立って」p.85

あなたの娯楽を続けなさい。しかし、自分が何かをやっていると誤解してはいけない。

「意識に先立って」p.84

あなたは世界の中で働いていて、自分がその仕事をしていると思っている。しかし、実際に起こっていることは次のことだ。生命力が思考と言葉という形で現れるときはマインドであり、…つまり生命力のマインドが行動原理となる。存在、意識は、この生命力とマインドの働きを観照する神だ。それは妨害せず、単に観照するだけだ。あなたが不幸な理由は、働いているのは自分だと思っているからなのだ。

「意識に先立って」p.92

限定

あなたは理解できない。なぜなら、「私はこれだ、私はあれだ」という自分を束縛するあらゆる産着を着ているからだ。

「意識に先立って」 p.27

個人

個人としてのあなたが自由を欲しがっている。個人として留まっていることが難点なのだ。あなたがこの知識を理解したとどれほど考えていても、個人として獲得したと思っているかぎり、個人的一体化はまだそこにある。

「意識に先立って」p.95

思考

もしあなたが存在性(beingness)の中で動かないでいれば、思考はますます少なくなることだろう。もしあなたが思考と交われば、思考は増えることだろう。存在性の中にいなさい。

「意識に先立って」p.122

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