意識の置き場所

瞑想でどこに意識を置くべきか、ラマナ・マハリシはハートであると言っているが、記事を読む限りあなたの意見は眉間のように思われる、その見解の違いはなぜ生じるのかという質問について。ラマナ・マハリシと呼ばれた肉体が話した内容は、高位のイニシエートに関係するものであり、それは魂ではなくモナドつまり生命そのものについての話であり、したがって必然的にそれは眉間ではなくハートである。

一般的な全体像として考えるならば、瞑想を始めて間もない場合、眉間のセンターを意識することが安全であり、それなりに瞑想経験のある者は、おそらく、ヘッド・センターとアジュナ・センターの中間付近、何とも言い表しづらいが、その一体に強力な磁場の領域が存在するようになり、基本的にはそこを意識しているのではないかと思われる。このような話は、あまり重要ではないだろう。なぜなら、瞑想を通し、高位のエネルギーの伝導体になるにつれ、我々の注目は肉体ではなくエーテル体に移行し、濃密な肉体の特定の場所ではなく、生きており絶えず動いているエネルギーや、エネルギー・センターを扱うようになるからである。それに伴い、意識をどこかへ置こうとする者は消え去り、高位の力が必然的に都度、それは瞬間々々という意味だが、正しい箇所へと意識や注目点や焦点化の対象を自動的に調整するようになるからである。

おそらく我々においてより重要なのは、瞑想中より日常生活だろう。絶えず、眉間の高みに意識を安定させる必要がある。なぜなら、我々の問題は主にアストラル界であり、アストラル・フォースは太陽叢センターつまりみぞおちのセンターを通って侵入し、我々つまりパーソナリティーを条件づけるため、そこを閉じる必要があるからである。例えば恐怖を感じるとき、激しい感情に見舞われるとき、あるいは性欲に駆り立てられるとき、必ず意識は太陽叢に落ち、そこにそれらのアストラル・フォースを感じるはずである。なぜなら、太陽叢センターは、横隔膜よりも下のセンターを融合する働きを持つからである。このような、横隔膜よりも下のセンターのエネルギーは、いずれも対応する高位のセンターへと引き上げられねばならないため、眉間に意識を置くという話においては、より日常に注意すべきだろう。

移行前移行後
脊柱基底センターヘッド・センター
仙骨センター喉センター
太陽叢センターハート・センター

これらの移行は、我々が瞑想を通して正しく生きる限り、ほとんど自動的なものである。

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