2023年– date –
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家なき子
起きること、出来事に腹を立てる人がいる。ある者の家に行った際、飼われている室内犬がソファにおしっこをして怒られていた。老犬で耳も聞こえていない。いくら語気を強めても分からないのである。そこにおしっこがしてあるなら、さしあたり拭き取ってきれいにするだけのように思われる。そして必要に応じて策を講じるだけである。 出来事と行為の流れに、なぜ感情が挟まれるのだろうか。些細なことで乱されるのはなぜだろうか。この者は女性であり、職業はヨガや精神世界の講師であり、様々な身体のポーズを操る... -
太陽
古い映画、古い映像が流れていた。古い時代の話であり、何もかもが今とは違っていた。しかし、太陽はあった。この映画は太陽を素通りしている。映画が追っているのは物語であって、背後の太陽ではない。太陽の存在は当たり前であり、太陽の恩恵や、太陽の存在について誰も考えることはなかった。現代人もまた太陽に生かされながら、太陽は風景の一部でしかない。どのような時代、文化、生物、風潮、展開が地上で織りなされていようが、背後に太陽は在る。遠い昔にあった太陽と、いま昇っている太陽は同じである。... -
裏見の滝
滝に打たれて身心を浄めんと努めている者がいる。彼は、荒々しい滝の奥に空洞があることを知らないのである。空洞にこそ、沈黙と平和が行き渡っている。空道の先に唯一なる愛と調和がある。滝に打たれる自分に夢中なとき、人は背後に気づかない。滝行が垢離なのではなく、背後の空無が垢を取る。背後の沈黙が俗界の無知を叡智で満たす。背後の静寂が孤立した統一を教える。内なる沈黙の主、彼こそが真の自分であり、自我なる錯覚を導いた神仏であり、知恵と浄化の源である。 真の滝行とは、波動の行である。高位我... -
無題
自我意識は安全ではなく戦争中であり危険だが、本質的には安全なのである。自我を構成する想念や情緒と同一化して、感覚や肉体や精神が自分と思っている場合、危険なだけである。それとても、本当の危険ではない。なぜなら、それは思い込みだからである。思考という誘惑を無関心に無視できるならば、背後に導かれ、実在である。実在が真の我々であり、したがって世界と呼ばれるものとは関係なく、平和なままである。 例えば想念がある。あっていい。それをただ見る、ただ気づくことで、同一化は免れ、物質に固有の... -
戦争と平和
平和ボケのなか、戦争はやってくる。恋に忙しい若者に徴兵は訪れる。金儲けに忙しい大人に貧困は訪れる。この世の赫々たる名声も死によって無みされる。束の間の夢を打ち破るのは銃声と悲鳴である。世界は決して平和ではなかった。絶えず不調和を抱えていることを誰もが知っていた。一時的なものは別の何かによって破壊される。それが歴史であり進化であり法則である。笑っていた者の顔はひきつる。良心は非道に席を譲る。殺戮の恐怖は突如として訪れる。生き残っても周りは死ぬ。家族は、より大きな家族の対立に... -
日本のヒマラヤ
治療村 ある村に、絶対に病気を治せる奇跡の治療がある。たとえ末期の癌であれ、治せる医者が一人いる。秘術と呼ぶべき医の真髄を極めた女の医者が村にいるのである。彼女は医者になるための国家資格を持たないため、民間療法という扱いになるが、この村では、どのような患者も彼女を頼り、彼女の治療を受け、彼女を信頼し、彼女に感謝している。治らなかった者はいない。彼女の治療に対する不平の声、疑念の声は、村において皆無である。病気が再発しても彼女が治してくれる。当然ながら、治療は無料である。痛く...