ニサルガダッタ・マハラジ– category –
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I AM
事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。 ヨハネの黙示録 21:6-7 これは瞑想者の言葉である。「I AM」がアルファでありオメガである。それは自我が目指していたものであり、最初から到達されていた真我である。これを信憑性の高い仮定として認める者は、瞑想し、きわめて無料、きわめて無労力、きわめて無学、きわめ... -
私は苦悩を呼び寄せているのか
アストラル・ジャンキーの話には驚きました。私が苦悩の感覚が好きだということは思い当たる節がないわけではありません。以前、もしや自分はわざとこのような感覚を呼び寄せているのでは、と思ったことがあります。しかしながら、当然それら苦痛は気持ちの良いものではありませんので、結局否定しましたが。 質問者 「わざと呼び寄せている」のである。言い換えれば、自ら同一化しに行っている。これを長らく自作自演と呼んできた。彼は「苦痛は気持ちの良いものではないので結局は否定した」が、呼び寄せる過程... -
苦悩の終焉
苦悩から自由になりたいが、瞑想以外の方法でそれを教えてほしいと質問があった。なぜ瞑想が嫌なのだろうか。瞑想の方法が分からないと仰る。難しいことは私にはできない。何十年も瞑想している人がいるなか、今から始める気力がない、追いつく自信もないと仰る。何十年も瞑想している人とはどういう人だろうか。大別する場合、以下の三つのタイプに分かれる。 1瞑想状態が自然の意識になった者。サットヴァ神の目的真我2努力もしくは非努力を通じて瞑想の向上を真剣に試み続けている者。ラジャス調和二重性3長年... -
瞑想と意識
自分の本質に覚醒することは、現象的努力を必要としない。悟りは達成されることも強制されることもできない。それはそうする機会が与えられるとき、観念による障害が止まるときだけ、起こることができるだけだ。……観念化を取り除く方法として、考えることを止めようと積極的に努力をすることも無駄な練習であるし、それ以外のほかの種類の「努力」もそうである。唯一の効果的努力は真実を瞬間的に直観的に理解することである。偽物を偽物と見れば、残るものが真実である。今、実在するものが消えるとき、今、不在... -
トリック
人間の普通の意識から、魂の意識に入るという、アンターカラナという概念で言えば前半、ここについて書き続けているのは、この基本に関する情報が少なく、そのため人間の普通の意識で修練し、行き詰まっている人が多いと感じるからである。一方で、アンターカラナの後半が完了した聖者と見なされる方々の情報は容易に手に入るため、基本が知られぬままの瞑想が自我に弄ばれており、ありのままの神性が霊的な欲求の対象となり果て、それがかえって到達できない瞑想者としての苦しみを生み出す要因になっているから... -
イリュージョン
マインドが「すること」を止めるとき、それは単に在る。対象化がないとき、私たちの絶対的存在が在り、顕現した宇宙はない。 「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」p.116 付け加える。マインドが「すること」を止めるのは、マインドが魂を知覚するからである。我々は、マインドが、それ自体で充足している意識の上に塗り重ねられたイリュージョンであり、純粋な意識つまり魂がその表面的なマインドの観念的羅列と自身を同一化することで、マインド意識すなわち分離した自我意識を体験しているだけである。...
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