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或るメモ
今日も朝起きる。気分が悪い。しばらくすると仕事だ。生計を立てるため、嫌なことを堪えて今日も生きている。いわば、生きるために生きている。これが生なのだろうか。しかしこの生は、死によって、やがて終わることを知っている。ならば、生が終わるまで、死が訪れるまで、生きるために苦しみつづけること、生を堪えつづけること、死ぬまでの時間を潰しつづけること、これが生なのだろうか。それに何の意味があるのだろう。考えてもぼくには分からない。だからこんな生は辞退したいと思っている。放棄してしまい... -

痕跡
想念をしずめようとしてはならない。それは、しずめた後の霊的な何かを求めているだけである。まず、内的な霊的自己を見つけることが先である。彼の声を聞くため、彼の意図を汲み取るため、彼の示す道を知覚するためには、想念が邪魔をしていることをわれわれは瞑想中に理解する。そのため、耳をそばだてるにあたって、面と向かうにあたって、彼への興味と集中が、自然に妨害するものである想念を抹消するのである。そこには、想念に対するどのようなコントロール意欲もなければ、想念について誰かや書物が言った... -

湯治
われわれは学習中でも修行中でもない。治療中である。前者は自我において能動的だが、後者は霊的に受動的である。われわれは治療を受けている患者である。見えないこと、分からないこと、これら無知によって生が崩壊し、縛りつける錯覚から自由になるため、精神やマインドを治療してもらっている最中である。この理解を拒み、自分が瞑想し、自分がおのれを治療しているという錯覚の病気が流行っている。人間の定義に関するブラヴァツキーの言葉に、「動物+神」というものがある。その中間にて、われわれは修行者... -

山の病院
ある山岳に、あまり知られていない小さな病院が存在する。誰であれそこへ入院することができる。待たされないし、どれだけ入院していようと無料である。各々の患者に専任の医師や看護師や技術者がつく。彼らは全員、われわれの知るどの人よりも良い人たちである。確かな腕を持ち、ほんのわずかであれ医療ミスという狂いはない。完璧な治療を24時間われわれに提供してくれる。しばらく治療していると疲れるから、疲れたらいつでも自由にしていい。患者同士で遊ぶのもいいし、外出も自由、山を下りればすぐに賑やか... -

無職
瞑想するようになってから、社会生活に困難を感じるようになったという質問について。バランスが分からなくなった。仕事や人付き合いとの両立が不可能に思え出し、果ては会社を辞めて無職となり、恥を忍んで三十を過ぎた男が親の脛をかじるまでになり、実家に戻るも近所の眼が痛々しく、外を出歩くのも億劫で、瞑想を真剣にしているとは言うものの、気づけば無職のひきこもり、気の狂れた世捨て人と言われなじられるまでになり、失敗した人生という感覚に圧倒されている、過去の栄光は過ぎ去り、今は将来への不安... -

無関係
迷惑メールに振り分けられており、気づけなかった全ての質問を今しがた読んだ。わたしが基本的に質問を受けつけていない理由のひとつは、何の回答も持ち合わせていないからである。主張のための基準や価値観と関係がないため、実際のところ、分からない、答えがないと感じる。誤解を招く可能性があるが、どの質問にも興味がなく、何に対してもひたすら関係ないと感じる。質問者は現実感に負けてなにかを案じているが、彼らが本質的に安全であることをわたしは知っており、その領域をわれわれは共有しているが、彼...






