2023年– date –
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疲れない生き方
道を歩いている人、働いている人の顔をふと見やるとき、それが一日の始まりであれ、労働の終わりであれ、顔が疲れている。疲労とは、単に波動の状態であり、それを未熟な知性が誤って解釈したものにすぎない。よく見ないで解釈されるため、疲労感であるとか、慢性疲労だとか、疲れが取れないなどと言って、娯楽や薬や惰眠に逃避しがちである。しかし、瞑想者は疲労しない。それが疲労ではないことを知っている。走った直後の脈打つ鼓動の速度や、重労働のあとの純粋な肉体の消耗については語っていない。多くの人... -
名医
心の病を患い、抗精神病薬や精神安定剤を服用しつつ、なお瞑想に希望を抱くことは可能なのか。様々なケースがあり、個々に慎重になる必要があるため、一般論として軽く概括はできない。ある教師は、このような場合は瞑想してはならないと説いている。換言すると、病院の薬を飲んで治療に専念し、瞑想や、霊的世界からはしばらく(つまりこの生涯では)立ち去ってくださいということである。なぜなら、瞑想によって精神の病気が悪化する者が多いからである。 瞑想は、およそ誰にでも開かれた扉ではなかったのか。精... -
魂の試験
仰ることは伝わるのですが、私は魂と接触できないのです。したがって、記事は私にとって現実的ではなく、ほとんど何もできない自分を悲観させるのです。…… この人は、困窮する貧しい生活のなか、瞑想に一縷の望みを託してきた。ポストを見れば請求書。毎日、金を手に入れようとして戦っている。それでも払うお金がない。取り立ててくるのは日本。この国で生きるためにはこれだけ払ってもらいたいと社会が言う。学がないこと、忍耐できずに職を転々としてきたのはあなたの責任だろうと世界が言う。義務を果たしなさ... -
二つの波動
簡単に言うと、正しい波動と間違った波動の二つしかない。前者を知覚できず後者に生きているのが人間である。瞑想は、前者の波動や波長を人間に教えるものである。間違った波動を除去しようとしたり、抑えようとすることではなく、正しい波動と一体になることで、間違った波動に関わらせない神性を教えるものである。これが高位の波動を維持した状態である。この状態を安定させることが、日常を含めた瞑想の目標である。 以上は簡潔な規定であり、闇雲に瞑想を模索する人の指標になる。われわれは、言葉や概念に生... -
夢幻
もう少し。これを、もう駄目だと解釈する者は多い。惜しいところで、諦めて去ってゆく。しかし、真の弟子に共通の特徴は、去りたくても去れないことである。真我から逃げ、霊的な落伍者という自ら押した烙印を癒やすべく、世俗の興奮や熱狂に逃れんとしても、以前のように楽しめる要素はどこにもなく、かつて親しかった者らの言動に共感することもならず、世に帰る家なしと自覚する。体験を通してこれを教えられる。周囲の環境や人、出来事が、魂の演出だということにわれわれは気づくだろうか。特定の学びのため... -
1か0か
何がわれわれの進歩なのだろうか。間違った自分で何万回生きても、ゼロにいくつ掛けてもゼロのようなものである。ゼロに関与することは錯覚である。ところが、ゼロに一を足す努力をしたり、二や三になるような生き方を小さい頃からわれわれは世の中で強いられている。真実の世界では、一に何を足しても一である。足すことのできる我で生きても、それが死ねばすべて足したものは失われる。足し算で生きた生涯をいくつ数えても、毎回、現象世界で足したものは失われているのだから、ゼロのままである。これに気づく...