2024年– date –
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A地点
瞑想に方法がないなら、私はどうしてよいか分からず途方に暮れます。 現時点の意識をAとして、求める状態をBとするならば、あなたはAからBに向かうことが瞑想だと信じている。これが全てのあなたの苦悩の原因である。事実は、Aが答えである。Aを知ることでヴェールは剥がれ、Aで在ることで秘められた神秘が知られ、最初からAであり、またいつであれAでよかったことを理解することで探求は終焉し、より高い螺旋状にて新たな探求が始まるのである。したがって、まことに神の名は「I AM THAT I AM」である。 私は魂を... -
気づきと瞑想
最近の文章について質問ですが、「法則違反」とは具体的にどういう意味ですか。 自分が思考・言葉・行動の原因であると考えるときに法則からの逸脱が生じる。目に見えるすべては結果であり、真我はこれらすべての結果の原因であり、同時にすべての結果と無関係である。 では、「法則との一致」はどのようにして可能になるのでしょうか。 行為や言動や感覚知覚といったものの主体が自分であるという想念がないとき、つまり純粋な気づきに意識が留まっているとき、エネルギーの誤用はなくなり、法則や世界や神の意志... -
私は見られている
或る子供が親に叱られていたが、自分は悪くない、絶対に悪い事はしていない、それは神様だけが知っており、あなただけがそれを知らないと言い、憤怒の涙を浮かべて父親を睨みつけていた。その後、父親は声を荒げ、子供にビンタを打った。 逆に、子供の父親が、自身のすべての行為、言葉遣い、思ったり考えたりするその内容を、神に見られており、いずれも筒抜けであり、天網恢恢疎にして漏らさずという意味に深く通じていたならば、なかば頭ごなし、子供に平手を飛ばし得ただろうか。打つ前に考え直そうとしただろ... -
自然の霊
静かな森の中の木々に囲まれて、幾千幾万という眼がわたしを無表情に見つめているように感じて、恐ろしくなり、この土地には何かしら意味さだかならぬ曰くがあり、立ち入ってはならぬ場所、禁じられた存在の深淵めいた視界の内部に意図せず入り込んだ気がして、買おうと思っていたはずの土地に懐疑が芽生え、そこで感じた奇妙な不安、見られていることの恐怖の意味を突き止めたくて、その土地を見てほしい、恐ろしくも神秘なその何かを確認してほしいと友人が言うものだから、それほど遠くもないため彼にわたしは... -
瞑想と意志
エゴ(魂)の意志がその反映であり、個人の自我意志がその歪曲であるモナドの意志がアンターカラナを経由して徐々に物質界にいる人間に直接伝えられる。……個人の意志とエゴの意志は、私たちがその中で生き、動き、存在する方の目的であるモナドの意志に同化される。これが真の燃焼が起こる領域である。 アリス・ベイリー「光線とイニシエーション 上 」p.52 より正確な翻訳を試みるとき、瞑想は集中ではなく意志である。個人意識は、人間の自由意志しか知らない。この場合、認識できるのはフォース面のみであり、... -
あらゆるものなしに私は存在する
あらゆるものと関係がないとは、あらゆるものなしに私は存在するという意味である。自我は、あらゆるものを通して経験を積み、経験から間違いや正しさの意味を知り、それらの概念という想念を通して正しい波長、本来の自然な波長に意識を一致させるようになり、そこで想念から自由になり、あらゆるものは想念であり、そのあらゆるものと私は関係なく存在しており、あらゆるものを私は必要とせずに存在しており、自身がすでにして完全であり、実現されている真我であることを知る。こうして、存在すると思われてき...