瞑想– category –
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捨ててしまえばいい
人を見てみてほしい。例外なく、たくさん背負っていることを観察できる。なかでも最悪なのが、自分という重荷である。歩いているのは肩書や人格や名前である。生まれてこのかた主張を重ねられてきた執着やプライドや恐れなどが、その人というひとつの大きな想念の結晶となり、その自分という巨大で強大な思い込みが人を果てしなく掴み、固く、そして重くさせている。足し算で生きる悲しみが地上を覆っている。付け加えるものがひとつでもあるという信念が人から内在の無垢との接触を阻みつづけている。霊的なもの... -
焦点化
眠りから覚めると、人は何かを訴える。今日は不調だ。どうも胸焼けだ。嫌な事を思い出して学校や職場に行きたくない。あるいは良いことが期待されるので気分がいい。……つまり、起きてすぐ手遅れである。胸焼けの人を例にとってみよう。実際、そのように言う者が先日いた。それで、胸焼けにいつ気づいたのかと聞いた。起きてすぐだと言う。じゃあその前は。夢を見ていた。そのとき胸焼けはあったのか。なかった。ならば「あなた」は、現実のときだけ胸焼けで、夢のときは胸焼けにならないのか。たぶん、夢のときは... -
親友
子供の宿題を親が代わりにやることはできない。永遠に何もできないままになる。彼は年をとるだろうが何の役にも立たない。一時的には辛いが、自らの問題は自ら解き明かしてこそ価値があるという事実に徹し、他人に頼ることを慎む価値を採掘せねばならない。最初の教えは、すべての答えが我が内にあるということだが、これを信じなければならない。そのつど答えを引き出し、我知恵なりと確信せねばならない。答えが分からぬ場合は、それがなぜなのかを我に見出さねばならない。こうしてわれわれは汝自身を知り、そ... -
老い
老いは人から活力を奪い取り、若く元気であった頃の動きを、肉体的にも、アストラル的にも、メンタル的にも失わせる。活力つまりエネルギーである生命が撤退しつつあるのである。特定のその諸体が古く使い物にならなくなる場合、死が訪れる。そしてしばらく別の界層で過ごし、最終的には神智学徒がDevachanと呼ぶメンタル界の第四亜界で次の転生を待つ。瞑想にて、より上位の亜界、メンタル界の第三亜界に精通する場合、それはあらゆる平均的な修行者が欲望し想像している融合意識をわれわれに教え、真我を啓示す... -
眉間の波動の質問
それは眉間の疼きが最近弱くなっている気がするのです。私が高校生くらいまで、下手に眉間を意識するとひどいときなど、眉間から上唇のへこんだ部分(いわゆる人中といわれる部分)くらいまで疼きが生じ、その程度も顔が歪んでしまうくらいで、拳で額や鼻やその周辺をたたき、疼きを散らさなければとても我慢できないほどでした。それゆえ最近まで眉間を意識することを意図的に避けてきましたが、Author様から魂の波動とのアドバイスを聞き、今では積極的に眉間を意識しております。しかしながら眉間のエネルギー... -
霊的責務
ある時、ぴたりと自我の活動は止むだろう。我々は、どのような自我のそれまでの動きにも完全に消極的になり、アンターカラナの構築により低位マインドが静まるときに焼き尽くす火が昇ることを知るだろう。完全な活動停止は眠りではない。「それ」は完全に目覚めた新たなる意識である。自我が停止することが、大変な素晴らしい意識を我々に蘇らせることを己で知らねばならない。それは自我の努力が終わったときにのみ可能であり、全的に自我は魂に整列する。こうして妨げるものがなくなるのである。どんな自我も知...