瞑想– category –
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実践的瞑想法
私意識があり、行為者の感覚があり、努力しか出来ない段階の瞑想について。ここでは、努力が出来なくなる段階に至るまで、どうすべきかを自我感覚に向けて解説する。アストラル体を静めたならば、メンタル体の統御に取り組むことが可能になる。これは重要な点であるが自明であり、過去に多く書いてきているためここでは詳細を省く。以下は、瞑想で魂から習った瞑想であり、マインドの統御において使用したものである。 アジュナ・センター 眉間より少し上の頭部の内側、脳下垂体と両目、および頭部の前面部分全体... -
何もしない瞑想
瞑想は何もしない。これを自我で解釈すると、ただ空想することになる。それは何かしているのである。空想をしている。自我は、想念と同一化していたことに、ただ気づくことができるだけである。気づくと、同一化は失われ、対象の想念はなくなる。つまり養分不足で死滅する。空想を続けるなら、その思考には生命力が吹き込まれ、十分に強く、詳細で、持続的なエネルギーが加えられた場合は、いわば現実化する。これを平均的な自我は意図的にできないが、無意識に同じ思考傾向を繰り返しているため、同じような現実... -
あらゆる霊的な失敗
教師から非分離の精神を教わり、われわれは感銘を受けるかもしれない。新たな理想と目標に熱誠をいだき、愛あふれる自分でいられるよう、日常生活で苦闘しはじめるかもしれない。これはやがて無意味と知られるだろう。自分として努力している。よって分離した自分を強めるだけである。自分が静まったときにだけ愛は妨げられず開示される。愛と自我は両立しない。活発なマインドが分離の発端であり、愛の殺戮者である。想念なき状態だけが愛に統合し、非分離の平安をもたらす。マインドは絶えず変異し、次々に思考... -
童心
寝る前、童心に帰る人は多い。気持ちよくなり、幸福感が包み込み、一時的に世界を遮断する睡魔の力に受容的になる。心配事や考え事にひどく縛られている場合、肉体は疲れていても、世の中への執着が勝り、幸福ではなく苦痛、弛緩ではなく緊張が持続し、不眠症に悩まされることになる。それは世界に悩まされているのである。硬直や緊張を和らげる物質を摂取しないかぎり、活発なマインドを抑え、睡眠へと導入することはできなくなる。 精神科、あるいは心療内科で薬をもらうことはできるだろう。しかし、処方する医... -
苦痛の克服
苦痛の知見 むかし、苦痛を一秒で治せることを発見した。本当の話ならノーベル賞か何かもらえるのだろうか。瞑想するなら、このような技術は初歩的なものである。誰でも習得できる。なぜなら、瞑想は初期段階において自分を知ることだからである。 精神的な苦痛があるとしよう。しかし肉体の苦痛も含め、三界の苦痛はすべて精神的つまりマインドが原因である。マインドが未熟なとき、苦痛という早まった解釈があるにすぎない。この記事では、もっと簡単な、普通の情緒的な心理的苦痛について考えてみたい。苦痛が... -
愛に生きる
人が分離した自分を理解のなかに抱擁し、溶かし、自然へと還すとき、理解され圧倒されるのは愛ではなかろうか。自我を霊的な世界に惹きつけるためには、至福や喜びや解放が、個人と関連づけて強調されるかもしれない。しかし、瞑想は自我に愛の美しさを教える。世界は混沌としているように見える。これを癒やすのは愛しかないことをわれわれ人類は学んでいる。世界がその異常さに苦しんでいるのは、われわれが分離という錯覚に苦しんでいるからである。人は愛されたいという。人が真に自分のことを気にかけなくな...