瞑想– category –
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目に見えない世界へ
例えば個人の欲求について。われわれは外的なものを現実として見ている。何かが欲しいならば、そのモノの形象が想像力とさらなる欲求を掻き立て、その引力の強弱に応じて無防備になったり理性を働かせたりする。これに対し瞑想者は、欲求の感覚を明確にフォースとして捉える。目に見えるものではなく、その背後の目に見えないものを扱う。欲望が見せる想像力や引力に抗うのではなく、欲求として認識される形態をのフォースを見て捕まえ、高位のエネルギーでその低位のリズムを置き換える。 苦痛の例 これらのフォ... -
その中へ身を委ねる
金縛りが夢の中で現実であるとき、われわれは必死にもがくだろう。抜け出すべく抵抗するが、声もでなければ動くこともできない。しかし、それが夢の中であることに気づくならば、われわれはただ金縛りの状態の中に入りゆくことで、即時に解除できることを知る。気づかぬならば、長時間の金縛りは恐怖である。だが気づいてさえいれば、それが夢であり、金縛りにすぎぬことを知り、一切の抵抗を止め、その中へ入るだけである。すると解ける。瞑想もこれに似ているのである。 この世界もまた夢と知るならば、それに気... -
超然
すべては自作自演である。精神は欲望と恐怖を利用して、自我や自我の世界を延々と紡ぎ出す。精神の産物である人間は、欲望か恐怖をそのまま世界に投影し、自分勝手な物語にそのまま没頭し続けている。そして、わたしは弟子だとか、惨めだとか、道を歩いているとか、各々が自作の話を次から次に、欲望と恐怖を燃料に炙り出している。 そこに、賢さが到来して、それらが自分ではないという叡智が訪れる。全てと関係がないという祝福された感覚が訪れる。そのある種の苦しみを調べてみると、精神の背後に静かなる者が... -
霊的欲望の犠牲者
マインドや思考の統御について。これは、情緒や欲求といったアストラル性質が静まらないかぎり難しい。それらのフォースを識別できないとき、われわれはその衝動の犠牲になって、霊的欲望に捉えられてしまう。一般的な欲望と霊的な欲望に違いはないだろう。われわれはそれが見えなくなる。欲求や逃避に反応を示さぬ静穏なアストラル体に仕上げられたとき、思考や想念つまりメンタル・フォースの問題に集中できるだろう。 飛び級はない。飛び級をさせる覚者というものも存在しない。現実は挫折者だらけである。誠実... -
魂の波動
高位メンタル・レベルから発している魂の推進するエネルギーに敏感にならなければならない。ある進化段階が達成されたとき、このようなエネルギーは、三体からなる人間のフォースを統御するよう努めるようになる。 アリス・ベイリー 「新しい時代の教育」 p.106 進化段階は気にする必要がない。しかし、波動やエーテル体の知識がないならば、われわれはそれを病気と思いかねない。いま現在も、誰にも理解されることのない、この頭部内のいわくいいがたい圧力に対し、一人で悩み苦しんでいる兄弟方がいるはずである... -
672夜
<苦痛に関して書いた以前の文章からの抜粋> ……その絶望感が幾分強かったため、とつぜん内なる魂と一体化した。それは、絶望するおのれを背後から目撃するという、衝撃的な瞬間であった。そのとき思ったのは次のようなことである。「すべて自作自演だった」。私は魂として苦痛を感じていなかった。ただ絶望している自分を見ていた。自分で問題を作り上げ、それに自分で絶望しているだけだった。これは白けた。このようにして自我は存続しているのかと思った。それからというもの、自我の反応に関心を失い、私...