瞑想– category –
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一に許す
意識が魂の痕跡であり、存在するという感覚が生命つまり真我の痕跡である。静かなとき、魂は喜びと愛に生き生きとした感覚が顕著であり、モナドつまり真我は至福、静けさ、厳かさとして充溢し遍満している。そのとき、我々に注文はない。ただ存在である。低位人間の情緒や思考、マインド性質は取りつく島もなく、存在が存在そのものに安らいでいる。それは自然の豊穣である。尽きることなき無限の美である。求められたとき、それは見つからないかもしれない。結果を求める精神は、性質的に錯覚である。あるがまま... -
人間の勝利
宗教の敗北 歴史における真の教師方は「唯一なる存在」について語ってきた。どの教師のもとでも、理解する者は少なく、大多数が限定された人間の意識から解釈せざるをえなかった。教えは曲解され、宗教が組織化され、権威を貪る者に利用され、聖典は都合に応じて改竄され、教義は愛ではなく恐怖となり、宗徒は自己の研鑽より教えを広めることに従事するよう洗脳され、互いに対立し合うことで本来の教えから遠ざかり、時代の教師方に敵対してきた兄弟方の思惑通りにことが進んでいる。つまり教えの核心が敗北してお... -
二元超えて愛
瞑想を重ね、真我を探究する一方、我々は他者を必要とする。交感の中においてこそ、生命の実感を得る。もし物語がただ「我のみ」にて編まれんとするならば、そこには何らの劇もなく、孤立せる自我は困窮するばかりであろう。いわば、主演たらんとする欲求は満たされることなく、孤独すら他者の存在を前提とする。人は己の周囲を巡る世界や星々を離れることを許容せず、それこそが本質を表している。要するに、相互依存の一切から外れよと我々は説く。 これをもって慈悲や相互扶助の精神を否定するものではなく、ま... -
闇のテスト
「八方塞がりである。どうすれば良いか分からない。わたしは正しく前進しているのだろうか。間違ったやり方に再び陥ってはいないだろうか。何も見えない。わたしは目の前の問題に圧倒されている」 これが、前進中の弟子の言葉である。暗中模索。もう自分にできるとは思えない。しかし前進するより他にない。苦痛は拠り所である。それは何らかの間違いを警告してくれる上、それそのものを見ることで答えを教えてくれる。つまり、自身のどのような態度が苦痛の原因であり、何を求めたがゆえの摩擦であり苦痛であるか... -
我を砕く
不幸な人は、幸福を信じているから不幸があることを認める知性が必要である。幸福感は、個人的な反応であり、分離した自我の目標でしかない。それは何のコントロール下にもない。環境や出来事に応じて生じる、自我の情緒的な反応にすぎない。不幸もまた同じである。希望や、達成や、意気消沈や、苦悩といったものも、個人の利己的な反応でしかないという認識に早く到達すべきである。つまるところ、自我にまつわる一切の反応は無視されるべきである。これらの保育的な感覚に捉えられている人間を魂の位置まで引き... -
進化段階
進化段階について落胆したり、あまり考えたりすべきではない。人間は現在の進化段階を突き止めることはできても、潜在的な進化段階を突き止めることはできないからである。進化段階について気にすること自体が情緒的であることは別にしても、現在の到達基準で制限をかけ、自己憐憫に屈服することは単に自我を強めるだけである。 いま、目の前の課題に取り組むことで解消され、それによって得られる報酬こそが、自身にとって現状は最高の報酬であるということはしばしば忘れられている。例えば、苦痛というアストラ...