瞑想– category –
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苦悩の終焉
苦悩から自由になりたいが、瞑想以外の方法でそれを教えてほしいと質問があった。なぜ瞑想が嫌なのだろうか。瞑想の方法が分からないと仰る。難しいことは私にはできない。何十年も瞑想している人がいるなか、今から始める気力がない、追いつく自信もないと仰る。何十年も瞑想している人とはどういう人だろうか。大別する場合、以下の三つのタイプに分かれる。 1瞑想状態が自然の意識になった者。サットヴァ神の目的真我2努力もしくは非努力を通じて瞑想の向上を真剣に試み続けている者。ラジャス調和二重性3長年... -
哲学者と瞑想者
もしもこの下位の可能態・能力が最終的には上位の可能態・能力と一つになるとしたら、……あなたは概念の高処に上昇することができるのです。……世界霊魂の概念の高処にです。世界霊魂は、すべての現実態であると同時にすべての可能態・能力であり、すべてにおいて全体として存在するのです。それゆえに、結局あらゆるものは一なのです。そして、この一性を知ることが、すべての哲学と自然観照の目標にして終着点なのです。 ジョルダーノ・ブルーノ「原因・原理・一者について」 p.158 瞑想者とは、結果の世界ではな... -
生きる意義
前提 意識は、同一化している「形態の性質」に依存している。 意識の変容に興味を持つ者は、必然的に「形態の性質」に着眼する者である。 人間が関与している形態は、肉体、アストラル体、メンタル体である。これらの形態の材料である質料は、進化ではなく退化のフォースに従っている。 人間の魂は、これら三重の形態と同一化し、それらの形態性質つまり形態が表現するフォースに幻惑され、盲目的に付き従っている。これが無知と自我意識の原因である。 瞑想の効用は、形態の波動を高めることにある。低位性質と高... -
私は何をすべきなのか
この問いかけは次のことを示唆している。 何かをすることができるという錯覚。これは「自我としての私」と同一化しているときに生じるものである。つまり、行為が私に帰属するという傲慢である。彼は生命やエネルギーなしに指一本すら動かせないことを忘れている。 「自我としての私」という錯覚。これはアストラル体とメンタル体が統御されておらず、魂に整列していないときに生じるものである。感覚や情緒や想念と同一化することで、彼は一時的に真我のうえに騒音をかき鳴らし、騒音が自分だと思っている意識状... -
瞑想の危険について
二人の金持ち 大金持ちになった者が二人いる。 一人は、そのお金をすべて自分のために使った。彼は自分のところへ流れてきたお金を、自分の努力の結果であり、自分が所有すべきお金であるとみなした。そこで彼はお金を使うことで自分の望みを次から次に叶えようとした。最初は満足感が得られた。やがて小さな欲望では満たされなくなり、より大きな欲望へと駆られるようになる。しかし、満たしても満たしても、結局は満たされず、新しい別の欲望が生まれるだけだった。彼は自らの富と才覚をすべて自らの目的に費や... -
同一化からの自由
同一化の意味 例えば、「私の欲望」と人は表現する。私は悟りたいとか、私は進歩したいとか、どうしても存在する「自身の欲望」や「自身の考え」を表現する。純粋な意識が、情緒や想念といった低位性質と自身を結びつけて解釈すること、それが同一化である。この同一化を防ぐために、同一化しようとしている「私とは誰なのか」という事の本質を、一部の教師たちは考えるように勧めてきた。その結果、私とは誰なのか、それを頭で考えるという過ちを自我たちは犯してきた。 次のように考えてもらいたい。我々は、形...