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アストラル体の扱い方
アストラル界の自覚 人類は欲求(良い欲求、利己的な欲求、間違った欲求、霊的な欲求)に条件づけられている。 アリス・ベイリー「秘教治療 上」 p.214 我々の一般的な課題はアストラル体にある。この人類を大掛かりに幻惑する界層から自由を得るまでは、あらゆる感情や欲求には現実感が伴い、我々を支配し動かす。この感覚体もしくは欲求体が静かである状態を我々は知らない。その豊かな静謐がもたらす報酬が強調されることは少なく、むしろ我々はアストラル・フォースそのものである霊的欲望の犠牲になることを... -
成長と助力
前の記事で不正確つまり不用意な発言があったため幾らか削除した。それらの意図は、前線に茫漠と広がる難易度に対する消極的な諦めの打破であった。また、神秘的な体験が強調されるあまり、自我の新たな欲望へと堕落しがちであり、現実的な目標ではなく、霊的野心の体験へ向けられた欲求と想念の私的な形態が瞑想を妨害し、自身を危険にさらしていることを示すことにあった。しかし正確に言うならば、確かに、自我意識の見地からは超越的な体験つまり意識状態はあるだろう。また、細分化するならば条件つまり前提... -
一に許す
意識が魂の痕跡であり、存在するという感覚が生命つまり真我の痕跡である。静かなとき、魂は喜びと愛に生き生きとした感覚が顕著であり、モナドつまり真我は至福、静けさ、厳かさとして充溢し遍満している。そのとき、我々に注文はない。ただ存在である。低位人間の情緒や思考、マインド性質は取りつく島もなく、存在が存在そのものに安らいでいる。それは自然の豊穣である。尽きることなき無限の美である。求められたとき、それは見つからないかもしれない。結果を求める精神は、性質的に錯覚である。あるがまま... -
人間の勝利
宗教の敗北 歴史における真の教師方は「唯一なる存在」について語ってきた。どの教師のもとでも、理解する者は少なく、大多数が限定された人間の意識から解釈せざるをえなかった。教えは曲解され、宗教が組織化され、権威を貪る者に利用され、聖典は都合に応じて改竄され、教義は愛ではなく恐怖となり、宗徒は自己の研鑽より教えを広めることに従事するよう洗脳され、互いに対立し合うことで本来の教えから遠ざかり、時代の教師方に敵対してきた兄弟方の思惑通りにことが進んでいる。つまり教えの核心が敗北してお... -
二元超えて愛
瞑想を重ね、真我を探究する一方、我々は他者を必要とする。交感の中においてこそ、生命の実感を得る。もし物語がただ「我のみ」にて編まれんとするならば、そこには何らの劇もなく、孤立せる自我は困窮するばかりであろう。いわば、主演たらんとする欲求は満たされることなく、孤独すら他者の存在を前提とする。人は己の周囲を巡る世界や星々を離れることを許容せず、それこそが本質を表している。要するに、相互依存の一切から外れよと我々は説く。 これをもって慈悲や相互扶助の精神を否定するものではなく、ま... -
闇のテスト
「八方塞がりである。どうすれば良いか分からない。わたしは正しく前進しているのだろうか。間違ったやり方に再び陥ってはいないだろうか。何も見えない。わたしは目の前の問題に圧倒されている」 これが、前進中の弟子の言葉である。暗中模索。もう自分にできるとは思えない。しかし前進するより他にない。苦痛は拠り所である。それは何らかの間違いを警告してくれる上、それそのものを見ることで答えを教えてくれる。つまり、自身のどのような態度が苦痛の原因であり、何を求めたがゆえの摩擦であり苦痛であるか...