2024年3月– date –
-
不良と更生
高校生のいとこが不登校になったあげく、親に手を出すほど不良になったという。不良とは、良くないと書く。これまで、医者にならせるべく必死に子供を育ててきた親が、まさか殴られ血を流し、大声で殺すぞと言われようとは思いもしなかったという。もはや親と子という関係に戻ることすらできない。わが子がどうなるのか、そして私の人生はこれからどうなるのかと、母親は現実におびえ慄いている。 良くないことを子に押しつけてきた結果であることを親は認識しうるだろうか。この成績では医学部に受かりそうにない... -
法学
法を守りつつ裁かれる者はいない。法に生きていながら、同時に罪を犯した者はおらず、よって罰せられた者もいない。真理の領域に冤罪はなく、天網は愛として無限にゆきわたり、現象の世界で起こる出来事にはいかなる偶然もありはしない。かつての行為の種を、われわれの名や形は刈り取るが、それに対しては法則内から、つまり法を破ることなく対処することで、さらなるカルマが生み出されることはなくなる。これを知ることが解脱である。というのも、真の瞑想において、われわれは完全に法則に入り、自我や感覚知... -
舞台から降りる知恵
苦痛を見ようとしていますが、あなたが言うようなことは私には起きません。むしろ、より苦しくなると感じました。苦痛の感覚は何かの間違いだとあなたは言いますが、私にはその意味が分からず苦しいままです。 咲き誇る花を見て「美しい」と人は言う。そのとき人は、努力なしに花を見たはずである。しかし、あなたは見るために努力している。視覚は努力ではない。 苦痛を見ようとすることがすでに努力になるなら、何も私にはできないことになりませんか。 あなたが苦痛なのである。あなたと苦痛は同じであり、この... -
常識をくつがえす
道の途中まで、「常識」が逸脱を防ぐ支えになる。その後、常識を疑うことが真理の開拓者の握る斧になる。そして、最後に真理じたいが常識を消散する。常識とは、マインドの常識であり、それが超越される頃にはただの錯覚である。 病院に行くと、たいがいは症状を病名に当てはめさせられる。しかし、瞑想で眉間に行くと、症状は存在していないことが光の中で明らかになる。前者は薬を飲んだり入院したりすることで治療を目指すが、後者は真理を照らし出す目によって即時に偽りを破壊する。空が曇っていようが、眉間... -
分離に見る一体性
AとBという人間がいるとして、現象世界でこの二人は分離した肉体を持つ。つまり、分離した肉体に意識は閉じ込められており、その肉体を意識の中心として世界が眺められることになる。例えばAがBを殴るとき、痛いのはBであり、AはBの痛みを知覚しない。よって、AとBは別々の実体として意識の上で考えられ、互いを敵と見なす。 世界を構成する様々な物質や形態は分離している。それは距離や空間において分離しており、かつて死んだ者が今はいないように時間においても存在に分離がある。ここで言う存在とは、肉体や... -
蓮華の中の宝珠
客体とは、客体化の結果の仮相であり、ひとつのものを主体と客体に分割したマインドの罪であり、この罪に対する罰が分離という苦痛である。転生周期の終盤まで、人は経験を通して学ぶ必要があるため、主体と客体という分割はあえて利用される。やがて、人の魂が唯一なる魂に気づくようになり、自我(非自己)はおのれが魂(自己)において客体でしかないことを知ると同時に、すべての自我たち、すべての"客体たち"の中にも魂(自己)を見出し、外周から中心に至り、形態の背後に魂を見て、その魂の背後に生命を見...
12