2023年7月– date –
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本当に求めているもの
自我において、内なる旅路は難しく感じられる。道を歩いているようで、そのじつ道が見えない。茫漠と広がる砂礫のなかに独りかと思えば、人や建物に囲まれて、誰とも相容れない異質な自分に窒息しそうになっている。目に見える幻を現実だとかたく信じているのである。世界は宗教であり、大掛かりな洗脳であり、一人ひとりが目に見える物質を信仰している。感じられるもの、気分や衝動に追い立てられているが、それらの力もまた物質である。人類は、いつか目を瞑る必要があるだろう。 内なる領域を見るためには、そ... -
力の話
人は行為で判断され、評価を下される。行為という見た目上の現象が人のなかで権威になっている。だから、いつも何をしろ、何をするなと言われる。そして行為によって祝いと罰がある。反省しますと人は言うが、一生反省している者だらけである。行為が結果にすぎないことが分かりませんか。重要なのは行為ではなく、行為をさせたものだと気づけますか。見えるものが人の世界では権威である。その現象を起こさせた力については誰も責任を問わない。例えば殺人は結果であり、殺人をした肉体を罰することが人の世界で... -
音学
音楽は、そのまま読めば"音を楽しむ"である。音もまた波動であり、一般的に楽しまれている音の響きが、すなわち人類の平均的な波動に対する感受性の段階を示している。その楽しむは、情緒的なものである。音の波動が上がるにつれ、それは情緒的に楽しむものではなくなる。高位の波動は、情緒を楽しいと感じさせる自身の傾向が浄化されたときに感受できるようになるものである。その波動は静かなものであり、いわゆる沈黙の音である。それを人が聴くならば、神聖なものに伴う厳かさ、敬虔とも呼ぶべき崇高ななにか... -
疲れない生き方
道を歩いている人、働いている人の顔をふと見やるとき、それが一日の始まりであれ、労働の終わりであれ、顔が疲れている。疲労とは、単に波動の状態であり、それを未熟な知性が誤って解釈したものにすぎない。よく見ないで解釈されるため、疲労感であるとか、慢性疲労だとか、疲れが取れないなどと言って、娯楽や薬や惰眠に逃避しがちである。しかし、瞑想者は疲労しない。それが疲労ではないことを知っている。走った直後の脈打つ鼓動の速度や、重労働のあとの純粋な肉体の消耗については語っていない。多くの人... -
名医
心の病を患い、抗精神病薬や精神安定剤を服用しつつ、なお瞑想に希望を抱くことは可能なのか。様々なケースがあり、個々に慎重になる必要があるため、一般論として軽く概括はできない。ある教師は、このような場合は瞑想してはならないと説いている。換言すると、病院の薬を飲んで治療に専念し、瞑想や、霊的世界からはしばらく(つまりこの生涯では)立ち去ってくださいということである。なぜなら、瞑想によって精神の病気が悪化する者が多いからである。 瞑想は、およそ誰にでも開かれた扉ではなかったのか。精... -
魂の試験
仰ることは伝わるのですが、私は魂と接触できないのです。したがって、記事は私にとって現実的ではなく、ほとんど何もできない自分を悲観させるのです。…… この人は、困窮する貧しい生活のなか、瞑想に一縷の望みを託してきた。ポストを見れば請求書。毎日、金を手に入れようとして戦っている。それでも払うお金がない。取り立ててくるのは日本。この国で生きるためにはこれだけ払ってもらいたいと社会が言う。学がないこと、忍耐できずに職を転々としてきたのはあなたの責任だろうと世界が言う。義務を果たしなさ...
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