2023年8月– date –
-
暴れ者
人は解決に生きている。現状の打破、新たな旅立ち、より良い生き方などとは言うものの、それらは単に、現状からの逃避である。これを繰り返すのが人生と思われているが、解決した者はいない。つねに新たな問題が立ちはだかる。そして解決を求めつつ、問題から問題、逃避から逃避で人生は終わる。このような精神たちに欠けているのは、問題ではなく問題の根っこを扱う内的な知恵への感受性である。彼らは外的な目に見えるもの、出来事、感じられるものを現実と見なしており、実在と非実在が逆転しているために迷っ... -
リズムの法則
高所の沈黙へと入る能力が必要である。マインドの鎮静化はリズムの法則によってもたらされる。もし、あなたが多くの方向に揺れ動き、あらゆる方向からの想念を感知するならば、この法則があなたに作用することはできない。そのため、平衡を達成できるようになる前に、バランスと安定を取り戻さなければならない。波動の法則と原子質料の研究は密接に絡み合っている。これらの原子とその活動と反応と相互作用についてもっと多くのことを知ったとき、人々は波動の法則とリズムの法則に同調し、科学的に自らの諸体を... -
動力
動物は、動く物と読むことができる。しかし、物自体では動かない。死体は、生きていたときは動いたが、死んだあとは動かない。物を動かす力を動力とも言う。この力はエネルギーである。人体を動かしている動力がある。人間を動かしているエネルギーがある。このことを本当に知るならば、「私」という発想は不可能である。主体的な行為者である私という想像に甘んじることは不可能である。動力が、物を動かしている。この動力を知り、自我を動かしている低位の動力ではなく、高位の動力であるエネルギーに諸体の波... -
或るメモ
今日も朝起きる。気分が悪い。しばらくすると仕事だ。生計を立てるため、嫌なことを堪えて今日も生きている。いわば、生きるために生きている。これが生なのだろうか。しかしこの生は、死によって、やがて終わることを知っている。ならば、生が終わるまで、死が訪れるまで、生きるために苦しみつづけること、生を堪えつづけること、死ぬまでの時間を潰しつづけること、これが生なのだろうか。それに何の意味があるのだろう。考えてもぼくには分からない。だからこんな生は辞退したいと思っている。放棄してしまい... -
痕跡
想念をしずめようとしてはならない。それは、しずめた後の霊的な何かを求めているだけである。まず、内的な霊的自己を見つけることが先である。彼の声を聞くため、彼の意図を汲み取るため、彼の示す道を知覚するためには、想念が邪魔をしていることをわれわれは瞑想中に理解する。そのため、耳をそばだてるにあたって、面と向かうにあたって、彼への興味と集中が、自然に妨害するものである想念を抹消するのである。そこには、想念に対するどのようなコントロール意欲もなければ、想念について誰かや書物が言った... -
湯治
われわれは学習中でも修行中でもない。治療中である。前者は自我において能動的だが、後者は霊的に受動的である。われわれは治療を受けている患者である。見えないこと、分からないこと、これら無知によって生が崩壊し、縛りつける錯覚から自由になるため、精神やマインドを治療してもらっている最中である。この理解を拒み、自分が瞑想し、自分がおのれを治療しているという錯覚の病気が流行っている。人間の定義に関するブラヴァツキーの言葉に、「動物+神」というものがある。その中間にて、われわれは修行者...
12