2023年10月– date –
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戦争と平和
平和ボケのなか、戦争はやってくる。恋に忙しい若者に徴兵は訪れる。金儲けに忙しい大人に貧困は訪れる。この世の赫々たる名声も死によって無みされる。束の間の夢を打ち破るのは銃声と悲鳴である。世界は決して平和ではなかった。絶えず不調和を抱えていることを誰もが知っていた。一時的なものは別の何かによって破壊される。それが歴史であり進化であり法則である。笑っていた者の顔はひきつる。良心は非道に席を譲る。殺戮の恐怖は突如として訪れる。生き残っても周りは死ぬ。家族は、より大きな家族の対立に... -
日本のヒマラヤ
治療村 ある村に、絶対に病気を治せる奇跡の治療がある。たとえ末期の癌であれ、治せる医者が一人いる。秘術と呼ぶべき医の真髄を極めた女の医者が村にいるのである。彼女は医者になるための国家資格を持たないため、民間療法という扱いになるが、この村では、どのような患者も彼女を頼り、彼女の治療を受け、彼女を信頼し、彼女に感謝している。治らなかった者はいない。彼女の治療に対する不平の声、疑念の声は、村において皆無である。病気が再発しても彼女が治してくれる。当然ながら、治療は無料である。痛く... -
メメント
感情について。アストラル体が統御され始めたことを人はどうやって知るのかについて。統御されるとは、魂によって統御されるという意味である。自我が統御するのではない。自我は三重であり、アストラル体はその一つである。従って統御されるのは自我であり、自分と呼ばれるものが魂になり始めたとき、統御され始めるのである。 例えば、誰でも人は怒るだろう。その価値観によって許せないことがあるだろう。許せない相手を、自身の意図に沿うように、どうにかしてやろうと思うだろう。暴力でそれを表現する者もお... -
女神
世の中で、人々は責め合っている。自我たちは非難し合っている。誰もが何かと対立し合っている。こうして皆、自分を養っている。神は真逆である。全部許す。すべてを愛す。すべてを慈しむ。誰をもやさしく包み込む。人々は神を父になぞらえるが、私の瞑想ではしばしば母に感じられた。私は母性を知らずに育ったが、内なる女神は真に母だった。波動は言葉で表現できない。しかし内なる母が優しいことには違いはない。柔らかく、美しく、優しい。怒りの神ではない。裁く神、脅す神、怖がらせる神でもない。人間とは... -
暴風域と台風の目
動機があり、その動機において何がいけない、何がよいという価値観があり、それに沿った想念の力みと抵抗がある。これを自作自演と呼ばずして何と呼びうるか。いかにしてその馬鹿馬鹿しさに人を白けさせることができうるか。「政治というファミリー・ビジネスを云々」と誰かが息巻いていたが、まず、己がファミリー・ビジネスだと気づいてもらいたい。自我は自作自演で成り立っている。「私の考えでは」とか「私の意見は」などと言うが、考え、意見がなかったらどうなのか。あるいは、「私のもの」として同一化な... -
物と者
我々の神のパーソナリティー的な側面にはいくつかの名前がある。秘教徒はサナット・クマラと呼んでいるが、惑星のロゴスである彼の別名もまたいくつかある。「大いなる犠牲」であったり「終わらぬ真夏の青年」であったり……。 昔、多忙で瞑想がおろそかになった事があった。睡眠もとれていなかった。つい、ソファでうたた寝をしていると、内なる神に「起きろ」と言われた。それで起きてそのまま瞑想に入ると、目の前に「物」と「者」という漢字を見せられ、どちらも「もの」と読むと言われた。それは知っていると答...